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2000年05月24日

石川県写真家協会のあゆみ

1970.10.13 前身、北陸コマーシャル写真家協会が正会員23名(石川11、富山9、福井3)、賛助会員4社で結成される。
1980.02.24 石川県写真家協会創立総会
北陸コマーシャル写真家協会を解散、石川県内の職能団体として正会員29名、賛助会員11社にて構成し発足。
1980.05.20 ニッコールレンズ講習会
日本光学工業から講師を迎えて、製品ラインナップが整った大判用ニッコールレンズの解説および試写を実施。海外製品とは一味違う精緻な描写力を体験。
1980.02 石川県新美術館写真室設立協議会に参加、協力
1981.03.19 エクタクローム(フィルム)のクォリティカルユース講習会
長瀬産業(日本コダック社代理店)浦上博美氏を講師に、エクタクロームフィルムの特性について技術情報を聞く。カラーリバーサルフィルムはかなり進化したものの、撮影には細心の注意を要するデリケートな製品であった。
1981.06.04 ミノルタ露出計講習会
講師にミノルタ社の木戸口勉氏を迎え、新発売のミノルタ製カラーメーターと露出計について解説を聞く。経験にたよっていたフィルターワークを、数値を読み取って適用する方向性が示された。高価な機器であったが、その有効性が認識されて一気に普及した。ミノルタ製のデジタル露出計もいち早く普及したが、セレン光電式のセコニック露出計や、ペンタックススポットメーターはいまなお魅力的な製品でありつづけている。
1981.11.28 フジクロームとCBプリント講習会
富士写真フィルムの茶谷茂氏を迎えて、進化したフジクロームの特性とCBダイレクトプリントの解説を聞く。リバーサルフィルムはコダック製品の独壇場であったが、その 一角に確かな足取りで近づきつつあるフジクロームフィルムの実力が示された。CBプリントはチバガイギー社が開発したカラーリバーサルからのダイレクトプリント方式であるが、高価なことと、諧調再現性に難点があったため、印刷原稿としての用途は限られた。その後改良を重ねて今日にいたっている。
1981.11.28~12.06 第1回IPS展を開催。テーマ「フォトメニュー」
金沢市立図書館展示ホール
1982.06.10~13 金沢400年「金沢いまむかし展」協力。
金沢市立図書館展示ホール
1982.09.04~28 石川県立美術館における最初の写真展「土門拳の世界」に、写真美術協会加盟団体として協力。
1983.02.20 カラープリントの修整研修会
オペークレッドと修整顔料、それに面相筆を準備して、心静かにフィルムに向き合う崇高な作業。現会員の半数はその技術を習得している。
1983.11.05 照明機材とフィルター講習会
竜電社から講師を迎えて、スタジオ照明機材の展示と使用形態を学ぶ。ハロゲンランプや、メタルハライドランプの出現が新しい写真表現の領域を広げた。
1985.02.11 カラースライド研修会「フォトテクニック、銀食器・ボトル」
当時技術解説本も多数あったが、東京から専門の写真家を招いて、仮設のスタジオで実際の撮影を研修する。このようなデリケートな素材の撮影は、使い慣れた環境でノウハウを蓄積するのが近道で、テクニックにたよるべきではないとの思いを新たにした。
1984.02.19 ニューフジクローム講習会
フジフィルムの感剤微粒子技術の適用で、粒状性の飛躍的向上がはかられた。諧調表現の進化ともあわせて、プロフェショナルな用途にも耐えうる製品となる。しかし撮影者側にフィルターワークのノウハウの蓄積がなく、一気にフジ製品の普及には至らなかった。
1984.04.19 「バルカーストロボのすべて」講習会
プロユースのスタジオ用ストロボの先駆者バルカー製品を一堂に集結しての講習会。まばゆい閃光が会場を切り裂く爽快さのなかで、自らが最先端に立っている高揚感を誰しも感じたことであろう。わずかにシアンがかった色調は、その光を手にした充実感とともに忘れがたいものとなった。そして今、その大光量はデジタルには重すぎて、出番はなくなった。
1984.08.01~04 石川県で開催されたインターハイ競技の撮影協力
1988.02.05 レイアウトスキャナー見学会
われわれが撮影した写真原稿が、製版技術者によってどのようにスキャンされ刷版に仕上げられるか、その過程を学んだ。原稿の良し悪しがすべてであることに変わりはなかった。当時はまだフィルムでの入稿が一般的であった。
1988.03.18 「厳冬のチベット自転車走破一人旅」
当協会会員小林憲生氏(故人)が、自転車一台で厳冬のチベットを走破した冒険談を聞く。同氏はその後これまた厳冬の白山で冬を過ごし、無事春に下山する冒険を敢行。悟りを開いて仏門に帰依する。
1992. 石川グラフィックデザインニューヨーク展に会員11名が出品
1992.05.29~06.09 金沢市主催「金沢の生活文化写真展」に出品依頼を受け、会員が協力。
1992.06~08 広坂通り商店会から、無電柱化完了のあとに設置されたトランスの展示ケースに、写真の提供依頼があり、会員が協力。
1993.05 IPS軟式野球部発足。初戦はデンジャラスに惜敗スタート
1995.09.13 デジタルカメラFUJIX-505とフルカラーデジタルプリンターPICTROGRAPHY-3000を使用した撮影実習
カメラは1,280×1,000画素(当時国産カメラの最高画素数)、1台1,100,000円。記録メディアはFUJIX-HG15というPCカードを使用する。1枚120,000円。記録速度は1コマ1秒。PICTROGRAPHY-3000は1台2,700,000円。画素信号をレーザー光でドナーに走査し潜像を作り、それに少量の水を塗布してペーパーと張り合わせ、熱転写したのち剥離してカラープリントになる。
1998.07.05 会員の家族も参加して、恒例の大バーベキュー大会を開催
参加62名の大盛況。これをピークに参加数が減少し、ついにとりやめとなる。飲酒運転の罰則強化の影響。
2000.05.28 石川県写真家協会創立20周年記念パーティーを開催。同時に第18回IPS記念展を開催
2001.02.16 デジタル研修会を開催
T.P.C塚本氏を招いてデジタルフォトの研修を実施。当日試用した機材は、ジナーバック(3,800,000円)、プロファイル管理ソフト・モナコ(750,000円)ほか。
2003.05 デジタルカメラ・コダック14n研修会
ニコンF80のボディを着たコダック社最初の一眼レフカメラ。膨大な機能の説明があった。試用した感触は、中間調とハイライトの再現に優れていた。その時期にはニコンとキャノンからも1,000万画素クラスの一眼レフが発売になっていた。どちらも80万から90万円で、コダック14nは実売価格68万円であった。
2004.08.27/28 ハイエンドデジタルカメラ研修会
金沢市民文化村パフォーミングスクエア大ホールで開催。富山・福井写真家協会と共催で多数の写真家が参加した。試用した機器はジナーバック(Sinar Micro Scan)、ジナーP3ビューカメラ、イマコンアイエックスプレス、フェーズワンP25、リーフヴァルコ、ハッセルブラッドH1、フジフィルムGXディジタルバック、コダックDCSプロ一眼レフカメラ、ジナーモバイルシステム(フォトストレージ)、モナコオプティックスxrプロなど。
同時開催「モナコカラーマネジメントセミナー」
SONYのマビカをいじっていたデジタル黎明期から10年。デジタルは啓蒙の時代から実用の時代へ移行した。ただ、撮影側がハイエンドの機器を駆使した画像を提供できても、データが流れる下流で劣化する危惧をぬぐいきれなかった。不本意ながら、その責めを撮影者が受けるケースがあった。
2007.03.10 APAデジタルセミナーをAPA(日本広告写真家協会)と共催
「RGBワークフローの現状と運用法」電塾塾長早川廣行氏
「RGBワークフローのスタンダードを確立する」有限会社MD研究会会長郡司秀明氏
両氏を招いて開催した。県内の印刷・出版・デザイン関係者も多数参加。
2007.11.30 マミヤRZ-D、EIZOモニター、エプソンマックスアートプリンター研修会
マミヤRZ-Dは国産中判デジタルカメラとしてははじめての製品。
2009.03.01 「デジタル原稿の入稿について」研修会
講師:ユーアート製版㈱技術担当専務桐畑 誠氏。および東洋インキ製造㈱グラフィックソリューションセンター小泉貴志氏。
ニコンD3X研修会
講師:ニコンイメージングジャパン㈱中嶋斉一氏。
35ミリ判一眼レフカメラの成熟期を迎え、性能・機能ともにプロフェショナルな使用に耐えるものとなった。
2010.03.07 デジタルバックMシリーズとデジタルバック専用カメラ マミヤ645 DF研修会
フェーズとの提携で開発されたデジタルバックで、高精細と諧調移行のスムーズさにおいて進化が見られた。35ミリ判よりもレンズを選ぶ傾向がある。レンズの選択肢が少ないのが課題か。

投稿者 ips_kanri : 16:48